寄付金口座 三菱東京UFJ 銀行 本店 普通口座 口座名:ドイツ平和村 AktionFriedensdorf e.V. 子どもたちのためのドイツ国際平和村 紛争地域や危機に瀕した地域の子どもたちを助けるために設立されました。 紛争や貧困の犠牲となったこの子どもたちは、今このときも、私たちの援助を待っています。 設立以来、平和村の活動はどんどんと広がっていきました。 その活動の中心にはいつも子どもたちがいます。 平和村の活動は、まず、子どもたちの治療をヨーロッパで行うことからはじまりました。 そして、子どもたちが母国で治療できるようになることを目指し、 今では沢山のプロジェクトが危機的な状況にある様々な国で行われています。 それでも医療ケアのためにヨーロッパまでやってこなければならない子どもは沢山います。 また、子どもたちのヨーロッパでの治療、プロジェクトと並び、 平和村の紹介を通して平和への関心を高める活動も行なっています。 この3つを柱として、ドイツ国際平和村は平和のための活動を続けています。
收容受戰爭所迫害的小孩的平和村
http://www.friedensdorf.de/japan/home.htm
口座番号:0152887
または
ホ-ムページへようこそ!
ドイツ国際平和村は、1967年7月6日、ドイツ市民の手によって
平和村の歴史
ドイツ国際平和村は、1967年に設立されました。
それ以降、この活動によって数多くの子どもたちが、あたらしいチャンスを得ることができました。
設立30年に際し、活動報告書の特別版として、平和村のあゆみを記録に残しています。(ドイツ語版のみになります。)
1967年 6月 オーバーハウゼン市民から“Aktion Friedensdorf e.V.“(ドイツ国際平和村)のアイディアが生まれました。きっかけは、中近東で起こっていた「6日間戦争」でした。紛争や危機的状況下、苦しんでいる無実の子ども達の姿を見たオーバーハウゼン市民は突き動かされたのです。 7月6日 団体は、オーバーハウゼン当局にて登録されました。 7月 一つ目の建物が建設されました。 12月 初めての子ども達がやってきました。中近東からではなくベトナム戦争で傷ついた子ども達でした。 1970年 5月 国連総会の総裁Dr. Angie Elisabeth Brooks-Randolph が平和村を訪問されました。 1971年 2月 リハビリセンターが完成し、施設の建設は終えました。8月にリハビリセンターの落成式を行いました。同時期に、救援ステーション・Mimosa in DaLat (ベトナム)の建設をドイツ国際平和村の海外プロジェクト活動の一つとして始めました。 1975年 4月 ノルトラインヴェストファーレン州知事Heinz Kühnが訪問されました。 4月30日 ベトナム戦争終結 11月 ドイツ連邦大統領Walter Scheel が訪問されました。 1980年 7月 ベトナム戦争終結後、ドイツ国際平和村への寄付金が半分に減少しました。この団体は金銭的危機に瀕しました。 1989年 “Children as the Peacemaker”(サンフランシスコ・カルフォルニア)という組織の国際平和賞を授与されました。 1985年 9月 Fritz Berghaus 神父、死去。1967年から1976年まで、団体の代表を務め、その後理事長。 1986年 年金生活者Herbert Lindner が平和村の20周年にバイクで、募金集めの世界旅行に出かけました。 1987年 4月 傷ついたアフガニスタンの子ども達がパキスタンの難民キャンプからオーバーハウゼンにはじめてやってきました。 1987年 10月 1年前に始まった「ドイツ国際平和村・平和教育部」が州により認知されました。 1988年 12月 第一回アフガニスタンへの援助を行いました。 1989年 7月 ドイツ国際平和村のドイツ国内ネットワーク事務所がはじめてゾマーカールに創設されました。同月、コブレンツにフロインデス・クライスが発足しました。 11月 Lego社から“Ygdrasil”(“The Tree of Life“)という名の賞が授与されました。 1990年 4月 カブールに平和村の建物の建設が開始されました。 6月 フランスの元軍人の方々から“平和の名誉メダル”を授与されました。 10月 “FRIEDENSDORF INTERNATIONAL・Steyr Österreich”を創設しました。この団体は、オーストリアの法律にのっとって活動を開始しました。活動内容はドイツ国際平和村の海外プロジェクトの支援と特にアルバニアに対する援助です。 1991年 7月6日 ドイツ連邦外務大臣 Hans-Dietrich Genscher が平和村創立20周年の記念に後援者となってくださいました。 12月 代表ロナルド・ゲーゲンフルトナーがドイツ国際平和村の職員を代表して、オーバーハウゼン市長からドイツ連邦共和国の勲章を受け取りました。この表彰は紛争や危機的状況下の子どもたちを援助する平和村の活動を評して授与されました。 1992年 6月 Deutsches Zentralinstitut für Soziale Fragen(この機関に毎年活動報告を行い、監査を受けます)よりDZI‐Spendensiegel(受け取る寄付金が確実に子ども達の援助の為に使用されていることを証明する印)を受け取りました。 1994年 1月 第一回アンゴラへの援助を行いました。 11月 第一回グルジアへの援助を行いました。この援助の際にまのあたりにしたグルジアの危機的状況が、今後続けられることになるパケットアクションのきっかけとなりました。 12月 第一回グルジアへのパケットアクションを行いました。 1995年 10月 ディンスラーケン市に平和村本部が完成。引越しをしました。 1996年 1月 1軒目の「平和村セカンドハンドショップ」がオーバーハウゼンに開店しました。 4月 世界に広がる12の平和村パートナー団体からの35代表者がディンスラーケン本部に集まり、1週間のフォーラムを行いました。 1997年 2月 平和教育部のゲストハウスが、宿泊施設として使用されるようになりました。 1998年 3月 アフガニスタン国営アリアナ航空の一機がカブールに面する山々で墜落。全ての乗客、乗組員が死亡。ちょうど1ヶ月前のアフガニスタンの援助の際、機乗してくださっていた乗組員の方がたです。アフガニスタン援助の際、多くのアリアナ航空乗務員が、機乗してくださっています。 1998年末 ドイツ国際平和村のオランダ支部“VREDESDORP INTERNATIONAAL”が創設されました。 1999年 6月 日本の女優、東ちづるさんがテレビ番組制作会社と共に平和村を訪れました。7月に放映されたこの番組は、日本で「平和村ブーム」を引き起こしました。引き続き番組は次の年にも放送されました。日本の方がたの平和村に対する関心は、問い合わせや、寄付、ボランティアといった形であらわれています。 1999年 10月 グルジア住民への長年の援助に基づいて、グルジア大統領 Eduard Schewardnadse は平和村代表ロナルド・ゲーゲンフルトナーにグルジア名誉国民の称号を与えました。 2001年 2月 劇的なことが41回目になるアフガニスタンの援助の際起こりました。ドイツ国際平和村がチャーターした飛行機がアフガニスタン政府の指図で、メッカに移動する信者達の輸送に使われる事になりました。この41回目の援助は今にも失敗に終わりそうでした。大規模な交渉と話し合いの後、3月初旬にようやく今回の援助を実行することができました。 2001年 10月 “ドイツ国際平和村基金”を創設しました。 12月 9月11日のアメリカ合衆国で起きた悲劇的な出来事のあと、アフガニスタンは国際的に攻撃の的となりました。何週間も続く空爆は、すでに荒廃しているこの国の住民を新たに苦難、不安、恐怖に陥れました。ドイツ国際平和村は、この12月に緊急にアフガニスタンの援助を行いました。90トンもの救援物資を困窮に苦しんでいる住民のためにカブールに送り、ヨーロッパで医学的治療を提供するために傷ついた子どもたちを連れてきました。 2002年 1月 ドイツ・ライオンズクラブの皆様が50周年の機会に、百万ユーロの小切手をドイツ国際平和村に授与してくださいました。この大きな寄付は、子どもたちの生活する施設の新築・改築工事にかかる費用に使わせていただく予定です。 7月 カンボジアで、平和村が資金援助した1軒目の診療所が、3ヶ月の建設期間を経て、活動を開始しました。このカンダル県でのプロジェクトのモデルとなったのは、ベトナムで建設された診療所です。 9月 ノルトライン・ヴェストファーレン州州知事Wolfgang Clement、オーバーハウゼン市市長Burkhard Drescher、ドイツライオンズクラブ代表Klaus Tangが毎年恒例のお祭りに平和村を訪問くださり、施設の新・改築工事起工式のメイン、「SPATENSTICH」(予定地に最初のシャベルを入れる式)が行われました。 10月 バイエルン放送“Sternstunden”登録協会の皆様より、キッチンと食堂の改築費用として40万